01-01

「ミトノート」は、茨城県の県都である水戸市の魅力を伝える冊子です。水戸市民が誇りに思う「場所」や「もの」「こと」を1号につき、ひとつ、特集のテーマとして取り上げ、そこにかかわる市民の暮らしぶりや考え方を通じて、水戸の良さをより深く伝えていきます。

第7号となる今号では、「水戸のスポーツ」をテーマにお届けします。

表紙撮影…小泉慶嗣

02-01

今号では、水戸を拠点に活動するさまざまなアスリートと、彼らに声援を送る水戸市民の姿を通じて、水戸のスポーツの「今」を伝えます。水戸のアスリートたちが異口同音に語るのは、水戸市民のスポーツに対する熱量。瞬発的な派手さはなくても、応援すると決めたらとことん声援を送り続ける水戸のファン特有の愛情深さが、アスリートたちを大いに勇気づけているようです。近年、水戸のスポーツ環境も急速に進化を遂げています。アスリート、市民、スタッフが気持ちをひとつにすることで生まれる熱気が、水戸のまちをさらに活気づけていきます。

目次へ戻る

03-01

水戸のプロスポーツ
水戸ホーリーホック[サッカー]

背番号1が守り抜く
水戸の作法、水戸の魂。

発足して26年のチームに息づく独自の「クラブ愛」は、いかにして醸成されたか。ベテラン選手2人に聞く。

2019年のJ2リーグで、クラブ史上最高順位の7位を記録した水戸ホーリーホック。チームを形づくる水戸独自の精神のあり方を、在籍22年目の〝水戸のレジェンド〟本間幸司選手と、前シーズンをキャプテンとしてチームを牽引した細川淳矢選手の言葉から探る。

 2020年2月1日、水戸ホーリーホックのホームであるケーズデンキスタジアム水戸で開催された『ADASTRIAいばらきサッカーフェスティバル2020』。毎年開幕前に行われる、鹿島アントラーズとの県内対戦の場だ。
 その試合の後半のピッチに、水戸ホーリーホック不動の背番号1、ゴールキーパー本間幸司選手の姿があった。チーム在籍22年となる守護神が試合に出場するのは、じつに一昨年の天皇杯以来1年7か月ぶりのことだ。アウェイ側も含め、スタジアム中から注がれる期待に応えるように、この日、本間選手は自身の真骨頂であるダイナミックなセーブを連発し、客席を沸かせた。試合は惜しくも1点差で敗れはしたものの、サポーターの目に、変わらぬ存在感を刻みつけたゲームとなった。

03-02

 それから遡ること2か月。昨年11月に終了した2019シーズンは、水戸ホーリーホックにとって、J2リーグ22チーム中7位という、クラブ史上最高順位を記録する年となった。J1参入プレーオフ(J2の3位から6位までが参加資格を得る)進出に絡む戦いを粘り強く続け、望みを最後の最後までつなぎ、迎えた運命の最終節。サポーターの熱気渦巻くホームスタジアムで行われたファジアーノ岡山戦で、ホーリーホックは力の限りを尽くして戦い、1対0で勝利。結果、シーズンの勝ち点と得失点差でモンテディオ山形と並ぶが、無情にも総得点数でわずかに及ばず、年間順位は7位に。初のプレーオフ進出への切符を目前で逃した。総得点数があと1点多ければ、あるいは総失点数があと1点少なければ順位が変わるというやりきれない結果となったが、それでも、クラブ史上最高の戦いを繰り広げたチームの健闘を、会場を埋め尽くした水戸のサポーターの多くは称えた。
 クラブの記録と記憶に残る1年となった2019シーズン。しかし、そのピッチ上に、チームの顔であり、代名詞ともいえる本間選手の姿を見ることは、一度もなかった。

03-03
2020年2月1日に行われた鹿島アントラーズ戦の後半に出場した本間選手。
持ち味のダイナミックなプレーでナイスセーブを連発した。

悔し涙ではなく歓喜の涙を
皆と共有したいという想い

 本間選手は、茨城県日立市出身の42歳。プロサッカー選手としてのキャリアは25年を迎え、現在のJリーグ登録選手の中では4番目の年長者となる(2020年2月現在で、1位は三浦知良選手/J1横浜FC/52歳11か月、2位は中山雅史選手/J3沼津/52歳4か月、3位は伊東輝悦選手/J3沼津/45歳5か月)。プロとしてのキャリアは、水戸短期大学附属高等学校(現在の水戸啓明高等学校)卒業後、1996年に加入した浦和レッドダイヤモンズ(以下レッズ)から始まった。
 「じつは他クラブへの入団が決まっていたのですが、一度レッズの練習に行く機会があって試合も観ていくように言われ、レッズのサポーターの応援のすごさを目の当たりにして、ここでプレーしたいと思ったんです」
 他クラブのオファーを断り、晴れてレッズに入団した本間選手。しかし、在籍期間中は出場の機会に恵まれず、3年後、茨城に戻り、当時はまだJFLという下部リーグに属していた水戸ホーリーホックに加入する。
 「それが22歳のとき。翌年クラブはJ2に昇格するのですが、その年に昇格しなかったらクラブが消滅することになっていたと後から聞いて。本当につぶれそうなクラブだった。でも、あのときがなければ今はないわけですから。今もあの1年のことは忘れられません」
 J2に昇格を果たし、迎えた開幕戦の相手は、奇しくも古巣のレッズだった。
 「ベンチにも入れなかった古巣を相手に、相手側のホームで、ホーリーホックのJ2のファーストゲームを戦えた。サッカーの神様がいるとしたら、なかなかいい仕事してくれたと思いますね」
 以来、本間選手は文字通りホーリーホックの守護神として、クラブに惜しみない愛を注ぎ、貢献を続けてきた。短期間で移籍を重ねることが常のサッカー界にあって、これほど長く同じクラブに在籍する選手は極めて稀だ。
 「今は1、2年で移籍する選手が多くて、ともすると自分の技を磨くことに集中しがちだけど、チームやクラブのために戦うことこそが自分を成長させる。そのことを若い選手たちに伝えたい気持ちは強くあります」
 サポーターと選手の距離感が他のクラブと比べて非常に近いといわれるホーリーホック特有の〝文化〟や〝作法〟も、本間選手のこの考えに基づき形づくられたものだろう。
 もちろん、最初から本間選手やクラブの存在が水戸のまちに浸透していたわけではない。2009年に水戸市立競技場を改修しケーズデンキスタジアム水戸が完成したことは、大きな転機になったという。
 「それまでは、ホーリーホック(英語で水戸徳川家の家紋である「葵」を指す)を名乗りながらも、公式戦を行える会場がなく、水戸で試合ができなかった。ホームタウンで、そこに住む人たちと時間を過ごし、そのまちで試合をする意味は大きいと実感しました」

03-04

 水戸で試合を行うようになってからは、クラブをサポートする企業が自然と増え、イベントや掲示物を通じてまちにホーリーホックの存在が少しずつ浸透していった。さらに、東日本大震災での体験が、まちとクラブの結びつきをいっそう強固にする。
 「傷ついたまちが何とか立ち直ろうとするとき、クラブとして何ができるか、皆で本気で考えて取り組む大きなきっかけとなりましたね。少しでも地域に暮らす人たちの力になればという想いでプレーするようになったし、皆で避難所にもたくさん通いました」
 非常時下に市民と真摯に心を通わせる選手やスタッフの姿は、水戸の人々の心を動かし、クラブを応援する人を確実に増やしていった。
 2011年4月、震災後初となったケーズデンキスタジアム水戸での公式戦は、今も本間選手の脳裏に鮮烈に焼きついているという。
 「壊れたメインスタンドに工事の足場がかかる一種異様な雰囲気の中で行われた徳島ヴォルティス戦は、後半のロスタイムに逆転するという、本当に奇跡のようなゴールで勝利したんです。水戸のまちがまだ苦しい中、見に来てくれたたくさんの人の想いがつまったゴール。皆、涙を流していた。僕のサッカー人生の中でも、忘れ得ないゲームです」

J1に行くことは、
もう単なる夢ではなくなった

 それから9年あまり。サポーターとの絆をさらに深めながら、前述の通り、昨シーズンのホーリーホックは、過去最高の順位を記録するまでに実力を高めた。
 「最終戦のゲームに臨むスタジアムの雰囲気は、間違いなく僕がこのクラブにいる中で最高のものでした。何かが起こるんじゃないかという空気に満ちていて、それを生み出してくれたサポーターや水戸市民の方たちの想いが本当にうれしかった」

03-10
2019年シーズン最終節・ファジアーノ岡山戦の様子。
右上:得点を決めた瀧澤修平選手。
右中:両手を挙げアピールするクラブ社長の沼田邦郎氏。

 その戦いのピッチに立てなかった選手としての悔しさは、察するに余りある。
 「公式戦に1試合も出られなかったシーズンは初めてで、プレーヤーとしてはすごく苦しんだ1年でした。それでも、チームがいい結果を出していく中で、自分の役割を考えながら、チームのために考え、取り組む姿勢は見せ続けられたと思う。ホソ(細川淳矢選手)は昨年キャプテンでしたから、そういう話を彼とたくさんして、チームをいいバランスにしていくことに努めた1年でした」
 チーム最年長者のこの姿勢は、他の選手にはもちろん、応援する者にも伝わる。ピッチやベンチに本間選手の姿が見えなくても、サポーターは試合会場に「俺たちの幸司」や「幸司とJ1へ」という横断幕を掲げ、彼とともに戦っていた。その光景を目にしているからこそ、最終戦が終わって会場のサポーターを前にしたとき、本間選手は目標を果たせなかったことへの責任を強く感じたという。いつか必ず歓喜の涙で頬を濡らす瞬間をこの人たちと共有したい─使命感にも似た想いが彼の中でこれまで以上に強まった。
 「このクラブでJ1に行くことをずっと夢見てきたけれど、もう単なる夢ではなくなった。だから、なんとしても掴み取りたい。J1に昇格したら、アウェイのサポーターももっとたくさん集まるでしょうし、社長が先日構想を発表した自前のスタジアムで、試合の日はお祭りのようになるくらい、水戸のまちを、皆さんを、もっと楽しませられるクラブにしていきたいと心から思います。僕は一選手の立場だけど、誰よりも長くクラブにいるから、このくらいは言ってもいいかな(笑)」
 クラブを、ホームを、これほど愛する選手が水戸ホーリーホックにはいる。彼とJ1を目指してともに戦う喜びを、幸せを、今シーズンも水戸のサポーターは心に刻みつける。

03-05
試合終了後、観客に挨拶する本間選手。「水戸のレジェンド」が手を挙げると、
アントラーズファンからも声援が送られた。

(文…笠井峰子 │ 撮影…小泉慶嗣)

03-07

 アントラーズ戦の数日後。水戸ホーリーホックの練習場では、選手たちがトレーニングに打ち込んでいた。午前中には徹底した走り込みが行われ、午後はボールを使ったさまざまな練習メニューが続く。各選手の動きを目で追いながら、1月に着任した秋葉忠宏監督が時おり大きな声で檄を飛ばす。「よく考えて! そう、それ、いいアイデアだ!」。監督の横に時おり立ち、メンバーの動きを確かめるように言葉を交わすのは、昨年までの2シーズンでキャプテンを務めた細川淳矢選手。在籍9年目を迎えるチームの主軸に、練習後、話を聞いた。

プロ選手、プロチームにとって、
よい成績をおさめることは使命

 「新シーズンを迎えてメンバーのほぼ半分が変わりましたから、秋さん(秋葉監督)を中心に、いい感触でまとまってきたところです。秋さんみたいに声を出してくれる監督は、珍しいんじゃないですかね。頼もしい存在です」
 クラブ史上最高位を記録した昨年は、キャプテンとして重要な貢献を果たした細川選手。自身と水戸との関係性についても、より深く意識した1年だったという。
 「昨シーズンは特に水戸に関わる多くの人がホーリーホックに興味を持ってくれて、少しでも活気のある雰囲気を僕らが作り出せたことがうれしかったですね。地域に根づくというクラブの理念にもある通り、どれだけ水戸が盛り上がってくれるかということは、僕らにとってすごく大事なことですから」
 何よりも成績が重要だということを、あらためて強く意識した年でもあった。
 「まちを盛り上げるためには、ずっと応援してくださっている方に加えて、どれだけ新しいファンを取り込めるかがすごく重要です。プロ選手、プロチームである以上、よい成績をおさめることは使命。成績が連れていってくれる部分の大きさも実感しました」
 埼玉県出身の細川選手は、仙台大学に進み、卒業後、ベガルタ仙台に5年間在籍。退団後9か月のブランクを経て、2012年に水戸ホーリーホックに入団した。
 「僕は、前のチームではあまり試合に出られなかったので、水戸に入ってやっとプロ生活がスタートしたように感じているんです」

03-08
2020シーズンの新布陣での初試合となったアントラーズ戦で、
チームをまとめる存在感を示した細川選手。

 ベガルタ仙台を契約満了になった際、負傷で1年近く無職の時代を体験した。 快復後、ホーリーホックが練習参加の申し込みを受け入れ、すぐに契約をオファーしてくれたことには、今でも恩義を感じている。
 「だから、必要としてくれるかぎり、このクラブにいたいという気持ちは強いですし、〝水戸の誇り〟だと皆さんが思ってくれるような選手になりたいし、そういうチームでありたいと常に思っています」

 移籍当初は、チームとサポーターの距離の近さに驚いたという。
 「他から来た選手は、皆驚くと思いますよ。もちろん他のチームもファンとの交流はしますけど、このチームでは、皆立ち止まってファンと話し込み、感謝の気持ちを伝える。この姿勢は、クラブが大きくなっても決して手離してはいけないものだと思っています」
 その〝文化〟の醸成に、チーム最年長の本間幸司選手の存在が関わっていることは明らかだ。
 「クラブがJ2に上がったときから今までのことをすべて知っている人ですからね。以前、クラブが低迷して存続が危ぶまれたときも、『俺の大好きなクラブがなくなってしまうなんて絶対にダメだ!』って皆の前で伝えてくれた。そういうことを言葉にできる人なんです。すごいなと率直に思いました。多くの人の手助けがあってなんとかここまで来たという歴史も、幸司さんがいるから知ることができる。知れば、その歴史をつないでいくという責任感が生まれます」

03-09

自分たちのプレーひとつで、
喜びも悲しみも何千倍に

 本間選手が久しぶりに出場し活躍したアントラーズ戦は、率直にうれしかったと語る。
 「幸司さん、アントラーズのサポーターからも声援を受けていましたからね。愛されてるなぁと思いましたよ。42歳と思えないほど、誰よりも身体をケアして、誰よりも練習している。なんで俺を使わないんだって強くアピールを続けながら、出場する機会が与えられない中でも、チームのために懸命にやり続けている。42歳の幸司さんがやって、若いやつらがやらないわけにはいかないですよ。そういうことは、言葉で言わなくても伝わります」
 細川選手自身も、30歳半ばを迎え、チームでプレーすることへの理解が深まったという。
 「スタッフがクラブの理念を理解してこういう選手であってほしい、ということが、自分の中で形になってきた実感はあります」
 入団した9年前と比べ、技も心も格段に磨かれた今、自分たちのプレーひとつで、何千人という人を喜ばせることができるサッカーの素晴らしさをあらためて実感している。

 「僕たちのプレー次第で、喜びが何千倍にも大きくなるんです。だからこそ、やりがいがありますよ。昨シーズンの最終戦は、ピッチに立っていて本当に鳥肌が立ちました。こんなものがあるんだ、こんなものが生まれるんだということを知ることができた。あれを越える空間をつくりたいと、僕ら選手ももちろんだし、ファンの皆さんも絶対思っているに違いない。スタッフも全員そうです。まず、あの場所、あの地点を知ることができたというのは、とても大きかったです」
 昨シーズンの興奮を越える、まだ見ぬ歓喜の場所へ──細川淳矢は、チームは、気持ちを新たにその一点だけを見据える。


水戸ホーリーホック

水戸市笠原町136-1
☎029-212-7700
【クラブハウス】東茨城郡城里町大字小勝2268-3 アツマーレ内
☎0296-88-3900
http://www.mito-hollyhock.net/

(文…笠井峰子 │ 撮影…小泉慶嗣)

目次へ戻る

04-01

水戸のプロスポーツ
茨城ロボッツ  [バスケットボール]

ブースターを魅了する速度、連携、そして、知力。

水戸に本拠地を移して以降、急速にその存在を地域に根づかせる茨城ロボッツ。ブースター(ファン)を惹きつける独自の魅力の秘密に迫る。

Bリーグのスタートから4年、茨城ロボッツは苦難を乗り越えて見事に成長し、まちに密着した多彩かつスピード感ある事業展開で注目を集める存在となった。ホームゲーム15連勝という記録は、チームがいかにホームで力を発揮しているかを何よりも物語る。キャプテンとしてチームをけん引する眞庭選手と、次々と攻めの広報戦略を展開する広報担当の森岡さんに取材し、チーム躍進の理由に迫った。

 1メートル93センチの長身と、くっきりとした目鼻立ち。モデルとして活動した経歴も持つ印象的な容姿で、茨城ロボッツのメインビジュアルを担う眞庭 ( まにわ ) 城聖 ( じょうせい ) 選手。その華やかな存在感はコートの上でいっそう際立ち、果敢なドライブ(ドリブルで切り込みシュートを狙うプレー)や高精度のスリーポイントシュートを軸にゲームの流れと観客の目を引き寄せる力はチーム随一のもの。加入2年目の2017年よりキャプテンを務め、コートの内外で文字通りチームの顔となる活躍を続けている。  キャプテンとしてチームをまとめあげるには、プレイヤーとしての能力の高さもさることながら、当然チームを統率する力が求められる。眞庭選手はそのカリスマ性のある選手像から、強烈な個性でチームをけん引するタイプのように一見思える。しかし、実際は、チームの中に身を置き、その愛すべき人間性と包容力とで人を惹きつけてチームの和をつないでいく──それが、眞庭選手ならではのキャプテンシーの発揮の仕方のようだ。

04-02

偶然の出会いをきっかけに
自らの価値が生きる場所へ

 バスケットボールのさかんな福岡県に生まれ、小学5年生でミニバスケットボールを始めた眞庭選手。恵まれた体格と優れた身体能力をいかし、強豪と名高い福岡市立福翔高等学校から日本体育大学へ進み、全日本大学バスケットボール選手権大会では2年連続でスリーポイント王を受賞、22歳以下のバスケットボール男子日本代表候補にも選出されるなどエリートコースを歩む。
 卒業後、「練習漬けで過ごした大学での4年間がすさまじく厳しいものだった反動から」一旦コートを離れるも、ストリートボール(ハーフコートや3人制などでおこなうバスケットボール)でプレーを継続して活躍。自身のバスケ愛を改めて確認し、26歳になった2013年、熊本ヴォルターズに入団した。2年後には、地元への愛着からライジング福岡へと移籍する。しかし、1年で自由契約に。
 「ストリートから来た選手、という扱いでプレータイムも短く、実際に力の差がついてしまっていることも強く感じました」
 悔しさと諦めが入り混じった気持ちで迎えたシーズンオフ。しかしここで、茨城ロボッツのゼネラルマネジャーを務める上原和人氏との出会いが訪れる。

04-03
2017-18、2019-20の2シーズンでキャプテンを務める眞庭選手。

 「以前から仲の良かった落合知也選手(Bリーガーであり、3人制バスケットボール「3×3」の日本代表選手)と一緒にいたとき、たまたま同じ体育館に居合わせた上原さんを紹介してくれたんです。あのとき、言葉を交わしてなかったら、今こうしてBリーグでプレーすることはなかったかもしれないですね」
 この出会いをきっかけに上原GMからの熱心な誘いを受け、入団を決意した眞庭選手。
 「当時、クラブは再建の真っ最中。不安定な状況を心配して、『やめたほうがいい』と言う人もいました。でも僕は、新生ロボッツのフロント陣に強い魅力を感じたんです」
 クラブの社長を務める山谷拓志氏は、かつて日本を代表するアメリカンフットボール選手として活躍し、バスケットボール界においては栃木ブレックス(現宇都宮ブレックス)を設立3年目で日本一に導いた実績を誇る人物。
 また、オーナーである堀義人氏は、茨城県立水戸第一高等学校から京都大学へ進学、ハーバード大学経営大学院修士課程を修了し、ビジネスに辣腕を振るう実業家。MBA(経営学修士)プログラムを提供するグロービス経営大学院の学長を務めながら、さまざまな角度から水戸ににぎわいを取り戻す取り組み「水戸ど真ん中再生プロジェクト」の中心メンバーとしても精力的に活動する。
 「こんなにパワフルな人たちがつくるなら、きっとすごいクラブになる」

04-05
左:選手の士気高揚にもひと役買う堀オーナー(中央28番)の派手なアクション。
右:納豆ヘッドを記者発表する山谷社長。自身のルーツ、アメリカンフットボールの応援グッズに着想を得た。

 眞庭選手の心をとらえたその予感はやがて、現実のものとなる。
 「ロボッツは、間違いなくB2でいちばん進化したクラブ。何もなかった場所にコートやカフェのあるM-SPO(まちなか・スポーツ・にぎわい広場)ができて、5千人収容のホームアリーナもできた。加入した当時、観客がまばらだったころを思うと信じられないほどチームは大きくなりました。ここまでの道のりを知っているのは自分だけなので、新しい選手へ今の環境がどれだけ素晴らしいかを伝えることも重要な役目だと思っています」

04-04

一丸となって走る強さ
このチームにはそれがある

 Bリーグの開幕から4年。茨城ロボッツはB1昇格への道を拓くプレーオフ出場も視野に捉えるところまで来た。その躍進の背景には、自身を筆頭にした得点能力の高さと、ブースター(ファン)との強力な一体感がある。
 「ロボッツは他のチームに比べて外国人選手への依存度が低いのが特徴。結束力が生まれやすく、高い得点率やガードの強さなど優れた能力を持った日本人選手が揃っているのは大きな武器です。日本バスケ界のトップを知る小林大祐 ( だいすけ ) 選手の加入も大きいですね」
 ちなみに小林選手は同じ福岡出身ということもあり、大いに刺激を受けている存在だとか。文武両道が信条の小林選手はチームへの加入と同時にMBA修得を宣言し、選手生活の傍らでグロービス経営大学院に通う。眞庭選手も負けじと入学目指して2科目を受講し、2時間の予習復習をこなす毎日を送っている。茨城ロボッツは、知的集団でもあるのだ。

04-06
左:ホーム15連勝に歓喜するチーム。
右:RDTの華麗なチアのパフォーマンスも大人気だ。

ロボッツのブースターは、
盛り上がり方が本当にすごい

 水戸の人とまちを巻き込むスマートな戦略で成長し、他チームが羨むほどのブースターの熱さや一体感を得た茨城ロボッツ。試合前やハーフタイムに会場の空気を盛り上げるチアリーダーRDT(ロボッツダンスチーム)のパフォーマンスや、派手なアクションと声援がすっかり名物となった堀オーナーの応援スタイルも、選手はもちろん、ブースターのボルテージをますますヒートアップさせる。
 「試合中の堀さんのアクションは、コート内の選手にもすごく影響します。感情を率直に表現する姿に僕らも刺激を受けるし、モチベーションがめちゃくちゃ上がりますね。そして何よりもシュートを決めたときの、会場で歓声が爆発するあの瞬間。ロボッツのブースターは本当に盛り上がり方がすごいですよ。ホームゲーム15連勝というとてつもない記録が生まれたのも、間違いなく、ブースターがつくる会場の空気が力になったからです」
 スタッフやブースターへの想いをさりげなく語るその口調にも、チームのキャプテンならではの気配りが自然とにじむ。こうして選手だけでなく、チームの周りの人々が眞庭選手の存在に惹きつけられていく。
 「バスケットボールは僕にとって人との縁をつなげてくれるツールなんです」と言い切る眞庭選手。バスケットボールを通じて知り合った人たちが、間違いなく今の自分を形づくっていると確信している。
 バスケットボールが縁をつないでくれた大切な人たちとともに目指すのは、B1昇格という大きな目標だ。いつか来るその日を信じて、茨城ロボッツのキャプテン眞庭城聖は、次のシーズンもきっと誰よりも長くコートに立ち、華麗なプレーと屈託のない笑顔で水戸のブースターを魅了する。

(文…伊藤 梢、笠井 峰子 │ 撮影…©IRSE/Akihide TOYOSAKI、小泉慶嗣)

04-07

選手の経歴だけでなく、こんなプレーに注目してほしいとか、どんなキャラクターなのかとか、楽しさや親しみを感じてもらえる情報をプラスします。

 2019年4月6日。この日、こけら落としを迎えた「アダストリアみと アリーナ」は、5千人を超える観客で埋め尽くされていた。茨城ロボッツのチームカラーである青一色に染められたアリーナを、コートに立つ選手たちとは違った視点から感慨深く見つめていたのが、広報担当の森岡礼佳さんだ。
 早稲田大学在学中にサッカー部の広報部員として活動し、卒業後はJリーグのクラブチーム「ヴィッセル神戸」に、プロスポーツチームとしては珍しい新卒採用で入社した森岡さん。その3年後、Bリーグが発足した2016年に知人を介して茨城ロボッツと出会い、ゼロからの挑戦の舞台に魅力を感じて一念発起。縁もゆかりもない茨城へとやって来た。
 広報の役割は、正しい情報を、正しいタイミングと手段で発信すること。そこへ、クラブの魅力をいかに盛り込んでいくかが腕の見せ所だ。その点で、森岡さんがとくに意識しているのは選手のパーソナリティの掘り下げ。
 「たとえば、新しい選手を獲得したとき。経歴などのデータだけでなく、こんなプレーに注目してほしいとか、どんなキャラクターなのかとか、楽しさや親しみを感じてもらえる情報をプラスします」
 これを「攻め」の広報と呼ぶ森岡さん。選手やクラブの特色を伝えるためには誰よりも自分自身がそれを深く知っていることが大切と、常に多角的な視野でクラブ全体を見つめ、どう発信すればファンにより楽しんでもらえるかを考え続けている。

04-08
試合でMVPとなる選手に贈られる「納豆ヘッド」。2020年2月15日の名古屋イーグルス戦MVPに輝いた眞庭選手が初戴冠。

 「彼女は本当に、選手一人ひとりをよく見てますよ」と、その観察眼を称賛する眞庭キャプテン。「ツイッターの短い文面でも、モーリー(森岡さんの愛称)が書いたものはセンスや視点ですぐわかる。僕と祐二(髙橋祐二選手)のやりとりをコメディアニメのキャラに見立てた企画もおもしろかったですね」
 一方、森岡さんは選手に対して「すごく協力的」と感謝の想いを口にする。「ロボッツの選手は、スポーツを通じてのまちづくりや地方創生など、クラブのヴィジョンを共有してくれています。目の前の勝利への想いはもちろん、地域やクラブの将来に対する想いもひとつ。そして選手もスタッフも全員がファンを喜ばせようという強い意識を共有しているのも、他チームに誇れる大きな強みです」
 試合前にLGBTQのシンポジウムを開いたり、ユニークな応援グッズ「納豆ヘッド」を開発したりと、茨城ロボッツが仕掛ける活動は斬新さとスピード感を持って展開されるものが多い。その理由を「オーナーの堀が中心となって取り組む『水戸ど真ん中再生プロジェクト』しかり、まちとロボッツを盛り上げたいという明確なミッションがフロント陣にあるから」と分析する森岡さん。納豆ヘッドのような「一見ふざけたようなことを大真面目にやる」山谷代表の姿勢も、自らシーズンチケットを購入しブースターの先頭に立って声援をおくる堀オーナーの存在も、茨城ロボッツらしさを構成する重要な要素なのだ。

04-09

 所属選手、フロント陣、そしてブースターの特徴を的確にとらえ、最大限に魅力的かつ高い鮮度でパッケージングした情報を発信し続ける森岡さん。ブースターから「ロボッツのスーパー広報」と呼ばれ、チームからもゆるぎない信頼を得る所以だ。


茨城ロボッツ

【本社】
水戸市南町3丁目3-40 アリゼ水戸南町ビル3階
☎050-1745-6802
https://www.ibarakirobots.win/

(文…伊藤 梢 │ 撮影…©IRSE/Akihide TOYOSAKI、小泉慶嗣)

[アダストリア みと アリーナ]

全国規模の大会が開催可能な5千人収容のスポーツアリーナ。

多彩な対応力と最新設備が魅力の水戸の新名所。

04-11
傾斜地を利用した3階建て。回遊性や搬入搬出のしやすさなども考慮されている。

 茨城ロボッツのホームアリーナである「アダストリア みと アリーナ」。2019年の「いきいき茨城ゆめ国体」に向けて旧県立スポーツセンターを整備し、同年4月に開館した水戸市の新体育館だ。
 前身施設からの最大の「進化」は、格段に大きくなった規模。総面積は以前の約3倍、中でもメインアリーナはバスケットボール、バレーボールともに3面とれる広さを誇り、多くの種目の公式施設基準を満たす。5千人の収容人数は、県内最大級だ。茨城ロボッツの試合をはじめ、バスケットボール女子日本代表とベルギー代表との国際強化試合、「いきいき茨城ゆめ国体」での各種競技、ドッジボールの全国大会など、これまでできなかった大規模な大会や公式試合を水戸市で開催できるようになった。
 競技以外にも展示会やコンサートなど多目的に利用できるよう、大型の映像装置や音響などの演出設備も充実している。メインアリーナ1階の観客席は一部が移動式で、用途によりレイアウトを変えることができ、水戸市市制施行130周年の記念式典や成人式、また、土俵を設けての大相撲水戸場所など、オープン以来、多彩な用途で活用されている。
 1階フロアにはさらに、バスケットボールコート1面分の広さを備えたサブアリーナ、一般開放型のトレーニング室、鏡面パネル張りの壁面を備えた多目的室があり、ヨガやダンスなどの教室にも活用されている。そして、5~6メートルの高低差のある地形をいかし、サブアリーナの地階には強化・競技拠点施設として、レスリング、フェンシング、ボクシング場が備えられている。詳細設計にあたっては各協会や連盟との意見交換が重ねられ、たとえばフェンシング場ではピスト(床面が電気の通る金属製の素材でできたフェンシングの試合場のこと)を埋め込んで床面をフラットにする工夫なども施されている。
 体育館のある東町運動公園は都市公園に位置づけられており、水遊びができる広場を設けたほか、茨城県立歴史館や沢渡川緑地など周辺施設との回遊性も重視。市民がスポーツや健康づくりに親しむ場として、イベントなどを思い思いに楽しむ場として、より身近に活用される体育館を目指している。

04-12
「いきいき茨城ゆめ国体」では、フェンシングやレスリングの会場としても利用された。

アダストリア みと アリーナ

水戸市緑町2丁目3-10
☎029-303-6335
http://maas.or.jp/azumacho/index.html

(文…伊藤 梢、笠井 峰子 │ 撮影…小泉慶嗣)

目次へ戻る

水戸から夢舞台へ!

水戸のプロ・社会人スポーツ
茨城アストロプラネッツ[野球]

05-01

プロ野球選手時代の反省と後悔を踏まえて、独立リーグ球団で茨城県の野球人材の育成と指導に全力投球する。

 茨城県立水戸商業高等学校野球部で投手を務め、ドラフトで中日ドラゴンズに入団した経歴を持つ長峰昌司さん。彼がGMとして率いる茨城アストロプラネッツは、2019年からBCリーグ(関東5県、北陸・信越5県、東北1県、近畿1県を活動地域とするプロ野球の独立リーグ)に参入を果たしたが、1年目の挑戦は、最下位という残念な結果に終わった。
 「プロには生活のすべてをかける覚悟が必要です。その意識や経験が足りず、他球団の選手に気持ちで負けてしまう場面が目立ちました」
 課題解決のため、さっそくオフシーズンから選手たちに「自分の頭ですべてを考える」ことを課した。
 「練習メニューまで含め、自身の行動はすべて自分で責任を持つように、意識改革に取り組んでいます」
 BCリーグの基本理念は、野球を通じて地域の活性化や地域貢献に
チャレンジすることだが、セ・リーグ、パ・リーグ12球団からなるNPB(日本野球機構)への登竜門としての役割も定着してきている。長峰さんは、アストロプラネッツがその機能を担うことを強く意識している。
 「NPBのドラフト指名を狙う際、大学では卒業時にしかチャンスがありませんが、BCリーグの選手であれば毎年チャンスがあります。高校球児の進路にアストロプラネッツという選択肢が加われば、茨城の野球はもっと盛り上がる。彼らの夢や可能性を広げるためにも、まずはこのチームが活躍しないといけません」
 そう語る背景には、自身のプロ生活における反省もあるのだという。
 「私自身が、プロ入りした時点で満足してしまった過去の自分を戒めたい気持ちをもっているんです。チームの選手たちや茨城の野球に打ちこむ子どもたちには、常により上を目指して欲しいと強く願っています」
 地域に暮らす人たちが野球に親しむ機会を充実させながら、自身の経験をいかし、自分を越えて活躍する選手の育成に、全力を傾ける。

05-02

茨城アストロプラネッツ

【県南事務所】
土浦市大町14-14 3階
☎029-869-4343
https://www.ibaraki-planets.jp/

(文…伊藤 梢、笠井 峰子 │ 撮影…小泉 慶嗣)

水戸のプロ・社会人スポーツ
セイバーズ[アメリカンフットボール]

05-03

水戸のチームで練習するうちまちと人に魅了され、水戸への移住を決断。地域の草チームを国内のトップリーグへと導いた、男気と行動力の愛すべき主将。

 特徴的な防具を身に着けた屈強な選手たちが体をぶつけあい、楕円のボールを敵陣へと運ぶアメリカンフットボール。地域の草チームから日本のトップである「Xリーグ(日本社会人アメリカンフットボールリーグ)2部にまで昇りつめたチームが、水戸にある。
 「セイバーズ」を選手兼監督として率いる近藤秀則さんは、福島県いわき市の出身。神奈川県の大学でアメフトに出会い熱中するが、首の怪我からXリーグへの挑戦はあきらめ、地元に戻る。「怪我が癒え、またやりたくなって探したら、いちばん近いのが水戸のチームでした」。以来、土日ごとに水戸に練習に通い、人とのつながりを広げるうちに、「水戸のまちに魅了されました」と語る。
 2011年の東日本大震災によりメンバーが7名まで激減して存続の危機に直面するが、残ったメンバーに「半年で立て直す」と約束し、県内の経験者らを自らスカウト。増員を実現してチームを生まれ変わらせる。
 その後、所属した北関東リーグから、東京都のアーバンフットボールリーグへと挑戦して初回から準決勝まで進む活躍を見せ、2018年、ついに国内最高峰のXリーグへの参入を実現。この間、チームの進路のみならず、毎回困難を極めるグラウンドの確保からメンバーの移動手段まですべてを主導してきた。自身初の飲食店(P47を参照)経営を水戸で決断したのも、チームのため。「店を通して応援してくださる方が増えました。人が人を呼んできてくれた」と感謝の想いを率直に表す。
 持ち前の男気と実直さで「前を向いて歩くうちに、たくさんの人が手や知恵を貸してくれ」て、若き日に夢見た場所にまでたどり着いた。今は、「若い選手たちがチームで躍動する姿を見るのがうれしい」と頬をゆるめる。20代前半の選手たちに交じって40歳の身体を奮い立たせ、間もなく実現する水戸でのXリーグ初公式戦開催の日を心待ちにする。

05-04

セイバーズ

https://saviors1996.wixsite.com/saviors

(文…笠井 峰子)

水戸のプロ・社会人スポーツ
FC水戸シルエラ[女子サッカー]

05-05

昼間はスポンサー企業に勤務し、夜間に2時間の練習。土日は全力で試合に臨み、その後は皆で焼き肉へ!底抜けのスタミナと明るさが魅力。

 水戸市の木である「梅」のスペイン語CIRUELAをチーム名とするFC水戸シルエラ。現在17名の選手が所属するが、大多数は県外の出身。数少ない地元出身者として活躍するのが、大内望実選手だ。身長143センチと非常に小柄ながら、負けん気の強さは人一倍。「諦めない、走り切る」ことを信条に、中盤でのゲームメイクを中心とした積極的かつ粘り強いプレーでチームを牽引する。
 その精神力とスタミナが培われたのは、男子部員に交じって練習を続けた中学時代。「女子は私ひとりで、誰もパス練習の相手をしてくれない。本当に息苦しくて何度もやめようと思った」ものの、持ち前の不屈の精神力で部員としてやり遂げる。
 高校はスカウトを受け、新設1年目の鹿島学園高等学校へ。その後、帝京平成大学へ進学。そこで矢野喬子監督(元なでしこジャパンDF)から指導を受け、「指示に上手く応えるのではなく、自分の直感を信じて思いきりプレーすること」への気づきを得て、サッカーの楽しさをあらためて見出すことができたという。
 現在、シルエラの選手たちは、チームのスポンサー企業の協力を得て、ジムのインストラクターや飲料の訪問販売員など、地域住民の健康増進に関わる職に就く。はつらつとした女性人材と地域企業をつなぐことはチームの大きな存在意義であり、大内選手が茨城にUターンしてサッカー選手を続けているのも、この仕組みがあってこそ。仕事で関わる人々が、女子サッカーに興味を抱き、親しみを持ってチームを応援し、盛り上げる力になる効果も期待される。
 平日は、仕事を終えた後、夜間に練習するハードな毎日を送り、土日は全力で試合に臨み、その後は皆で焼肉を食べに行く。「底抜けの明るさがチームの持ち味ですね」と語る大内選手。昨シーズン、あと一歩で逃した関東リーグへの昇格、そしてその先のなでしこリーグへの参入を見据えて、笑顔で闘志を燃やす。

05-06

FC水戸シルエラ

水戸市元吉田町2648-5
シルエラ101
☎029-353-7661
https://www.mito-ciruela.jp/

(文…伊藤 梢)

目次へ戻る

06-01
2019年10月に開催された第4回水戸黄門漫遊マラソン、中間折り返し地点の風景。

水戸のプロスポーツ
水戸黄門漫遊マラソン

目指せ!ゴールまで応援が途切れない〝おもてなしマラソン〟。

参加ランナーたちから称賛を受ける「ランナー応援隊」は、いかにして実現したのか。運営担当者と応援隊参加者に聞いた。

2016年に始まり、毎年10月末のマラソンシーズン開幕時期に行われている「水戸黄門漫遊マラソン」。これまでに第4回までを開催した発足して間もない大会であるにもかかわらず、すでに全都道府県からランナーが集まる大会へと着実に人気を高めつつあり、「全国ランニング100撰」*にも、3年連続でランクインを果たしている。大会の立ち上げから携わる水戸市の運営担当者と、独自の仕組み「ランナー応援隊」の活動に参加し続ける市民の皆さんに話を聞き、人気の理由を探った。

(*一般財団法人アールビーズスポーツ財団が毎年、全国の1500以上の大会の中から参加ランナーによる評価とレポートで選出している)

 2019年に第4回が開催され、水戸市の新たな風物詩として人気が定着しつつある水戸黄門漫遊マラソン。とくにランナーから好評を得ているのが、沿道に立つ人たちからの心のこもった応援だという。大会の運営に携わる水戸市市民協働部スポーツ課水戸黄門漫遊マラソン推進室の村石俊弘係長が説明する。

06-02

 「水戸黄門漫遊マラソンは、スタート地点とフィニッシュ地点が水戸駅から徒歩5分というアクセスのよさ、風光明媚なコース設定、水戸黄門の印籠を模した完走記念メダルなど、ランナーの皆さんにとって魅力的な特長を揃えていますが、中でも喜ばれているのが、市民の皆さんの応援の手厚さだと思います」
 同室の澤麻美主事が続ける。
 「メイン会場がやや狭いなど足りないところはあるのですが、それがランナーの皆さんの心に不満として残らないよう、細かな配慮を徹底することは、第1回の企画当初から決めて準備を始めました」
 たとえば、公設の給水・給食所といったエイドステーションだけでなく、民間の企業・団体や個人に給水所の設置やトイレボランティアとしてトイレの提供に協力してもらい、ランナーの体調面をサポートする。また、コース最終盤のトンネル内には、いばらきキャンドルナイトが手掛けるキャンドルイルミネーションと、市内20校の中学生が絵を描いたカラフルな提灯によって心華やぐ空間を演出し、ランナーの心を励ます。全国ランニング100撰を決めるランナーたちのレポートにも、そういった地域ぐるみの取り組みを評価する声が多く、コース全域を通じて展開される途切れない応援とおもてなしの精神が、水戸の大会を印象づけていることが伺える。

06-03
第4回大会のスタート風景。

欠かせないボランティアと
ランナー応援隊の存在

 その運営を可能にしているのが、中学生から大人まで3千名を超えるボランティアの参加だ。彼らは、手荷物預かりや、スタート・フィニッシュ地点および沿道での案内や誘導などをスムーズに行う役割を担う。
 そして、もうひとつ、途切れない応援を実現するために水戸市が力を入れて促しているのが、「ランナー応援隊」への参加だ。幼児から高齢者まで、グループや団体で申し込むことができ、コース沿道の好きな場所で声かけ、音楽・舞踊・給水・ハイタッチなど、趣向をこらした応援を披露してもらう仕組みだ。回数を重ねるごとに申し込みが増え、今や、100近い団体が申し込み、3千2百人以上の人たちが参加をするまでになっている。
 もちろん、最初からこれだけの数の人が自主的に集まったわけではない。澤主事が初回時を振り返る。
 「私たち担当者は毎年コース沿いの企業、商店、個人のお宅を1軒1軒訪ね、ご理解とご協力をお願いして回っていますが、最初は、イメージがつかめず、面倒に感じたり難色を示したりする方が多くいらっしゃいました。私たち自身も、何しろ初めてのことなのでうまく説明できない部分もあったと思います」
 しかし、一度経験すると、その楽しさと感動から、ぜひまた来年も!と継続して参加を希望する人が多いという。
 「近ごろでは、『当日は店を休みにして、家族全員で応援しているよ!』などと応援方法を笑顔でお話しいただけるようになりました」と澤主事。
 ランナーにも応援する側にも好評なランナー応援隊。中でも、50人を超えるグループで初回大会から参加を続けているのが、中間折り返し地点で給水サポートをする「杉崎応援隊」だ。

あと半分!走者を鼓舞する
オレンジ色の全力エール

06-04
中間地点で給水を行う「杉崎応援隊」の皆さん。

 杉崎とは地名で、水戸黄門漫遊マラソンの中間折り返し地点にほど近い地域を指す。杉崎応援隊は、その杉崎地区の自治会メンバーで構成されている。長年この地に住む人が多く、自治会メンバー同士の結束が固いこともあり、初回大会から大人数で参加を続けている。第4回には鮮やかなオレンジ色のウインドブレーカーを揃えて臨み、これまで以上に折り返し地点に華を添えた。自治会長の藤咲修一さんが内部の役割分担について説明する。
 「私たちは給水と声かけを行っていまして、テーブルの設営や水の運搬などの力仕事は男性陣が、水を渡す役目は女性部のメンバーが行います」

 コースの際ぎりぎりにやや前傾して立ち、腕をぴんと伸ばして紙コップを掲げる女性陣。ランナーが近づいてきたら、取りやすい高さを見極めてさらにコップを前に差し出す。初期のころはテーブルに並べていたが、少しでもランナーが取りやすいようにと、この手渡しスタイルに落ち着いたそうだ。女性部の友部由美子さんが、当日の楽しさを語る。
 「この姿勢を4~5時間続けるのは、けっこう体力を使います。でも、気持ちはずっと楽しい! 慣れてくると、あ、あの人は私に向かってくる、というのがわかってきます」
 ランナーと心が通じ合う瞬間を一度体験すると、やみつきになるようだ。同じく女性部の友部知子さんは、毎年ランナーから自分たちがパワーをもらうのだと話す。
 「中には崩れ落ちそうな人もいらして、それでも完走を目指して走り続けようとする姿に胸を打たれます。応援している私たちの方が力をもらっているんです」
 杉崎応援隊のすぐ隣で鳴り響く和太鼓の軽快な演奏も、折り返し地点の盛り立てにひと役買っている。同じ地区で活動を続ける「杉崎芸能保存会」が、地域に伝わる祭囃子でランナーたちを鼓舞する。
 「この中間地点は、見物する人の数も多くて、毎年とても賑やかです。往復するランナーたちをたっぷりと応援できますし、写真映えがします」と杉崎応援隊の谷津美明さん。高低差があり体力的には苦しい中間地点かもしれないが、多くのランナーたちが紙コップを笑顔で受け取り、「がんばれー!」の声援に力強く頷いていく。
 杉崎応援隊による給水は、「折り返し地点のオレンジ色の応援隊」として、これからも水戸黄門漫遊マラソンの名物のひとつとして定着していきそうだ。

06-05

(文…山辺 吉子、笠井 峰子 | 写真…大谷 健二、小泉 慶嗣)

目次へ戻る

07-01

水戸のプロ・社会人スポーツ
R-BLOOD [総合格闘技]×SH REVOLUTION [車いすバスケ]

言い訳をしない男たちの終わりなき闘い。

総合格闘家・桜井隆多選手とアメリカの車いすバスケチームの元選手である齋藤信之さん。アメリカで出会った2人の固い絆の物語。

「夢みたいだ…」。戦いを終えたリング上で腰に巻かれたチャンピオンベルトの重みを感じながら、48歳の総合格闘家は、最高の笑顔でそうつぶやいた。歓喜に沸く客席の中に、かつてアメリカの社会人車いすバスケットボールチームで活躍した元選手がいた。

 桜井隆多─出身地の水戸を拠点に全国規模の格闘技大会に出場し続ける、総合格闘技ファンにはよく知られたベテランだ。その彼が、2019年12月22日に開催された「GRACHAN42×GLADIATOR 011」でメインの「GRANDウェルター級タイトルマッチ」に出場し、ベルトを奪取。26歳の外国人チャンピオンから怒涛のグラウンドパンチを浴びる中、起死回生の腕ひしぎ十字固めを決めての劇的な勝利だった。

07-03
BLOODで、試合を控えた若手選手とスパーリングを行う桜井選手。

 歓喜に沸く客席に、この日も、いつものように桜井選手の姿を真っすぐに見つめる車いすの男性の姿があった。齋藤信之─桜井選手の試合には必ず駆けつける水戸出身の51歳。アメリカの車いすバスケットボールの社会人チームで10年間プレーした経歴を持ち、現在は地元を中心に車いすバスケの魅力を発信するチーム「スピニング・フープス・レボリューション」の代表を務める人物だ。
 水戸出身のこの2人が出会ったのは、約30年前、場所は、アメリカはフロリダ州のタンパでのことだった。

07-08
水戸まちなかフェスティバルのイベントでプレーする齋藤さん。ストリート系カルチャーとの連携企画も得意だ。

ひとりでアメリカの地で
どれだけできるか

 先にアメリカに渡っていたのは齋藤さんだった。高校3年のときにバイク事故で下半身不随となった彼は、自身も認める極端なまでの負けず嫌いの性分から壮絶なリハビリをこなし、やがてリハビリの一環で車いすバスケを始め、「ゼロからどれだけできるか試してみたくて」、単身でアメリカに行くことを決意する。
 フロリダに渡り、語学学校に通うために業者に手配を頼んだアパートは、なんと学校まで車いすで2時間かかるスラムのど真ん中の物件。拳銃の音が日常的に響き、地元のギャングが喧嘩をふっかけてくるという尋常ではない環境の中、齋藤さんは、桁はずれの度胸と行動力で人々と交流し、異国の言葉や文化を驚異的な速度で習得していった。
 「学校の先生には、こんなに早く英語が上達した生徒も初めてだが、こんなに汚い言葉を覚えた生徒も初めてだって怒られました(笑)」
 やがて、ふとしたきっかけから、著名なプロレスラー、ジョー・マレンコ氏と懇意になる。プロレスの神様カール・ゴッチ氏の弟子で、自身も世界的に知られるプロレスラーだ。
 「マレンコさん一家には本当によくしてもらいました。あるとき『今度日本人の練習生が来るから、面倒みてやってくれ』と言われたんです」

07-04

齋藤さんの車の音が
聞こえるとうれしかった

 幼いころからレスラーに憧れていた桜井選手は、レスリングが強かった水戸短期大学附属高等学校(現・水戸啓明高等学校)に入学するも、
「もっとレスリングに集中したくて」早々に中退。プロレス団体の入門テストなどを受けるが、思い描くような環境を得られずにいた。
 「強くなるには日本を出たほうがいいのかなと思い始めたとき、プロレス雑誌でマレンコ道場の練習生募集の記事を見つけて、英語が堪能な友人に応募してもらったんです」
 こうして、桜井選手もフロリダに向かうこととなった。
 マレンコ道場では、練習に明け暮れる毎日を送る。加えて、連日40度を超える猛暑の中、寮のクーラーも冷蔵庫も壊れて機能せず、練習が終わると疲れ切った体に鞭を打ち、練習生4人で何キロも離れたスーパーマーケットに歩いて買い出しに行くことを強いられた。齋藤さんが当時目にした光景を思い出して言う。
 「猛暑の中、ガロン(3・8リットル)の水のボトルをひとり4つずつ抱えて戻ってくるんですよ。さすがに気の毒に思いましたね」
 そのころすでに英語を習得し、車を運転して安全なエリアのアパートに住む生活を送っていた齋藤さんは、時間の許す限り桜井選手を支援した。
 「桜井君をうちに呼んで、食事をつくったり、時間があればビリヤード場に行って遊んだりしましたね」
 桜井選手も当時を回想する。
 「齋藤さんの当時の車が大きくて、エンジンの音ですぐわかるんです。音が聞こえると、あ、齋藤さんだ!って、もううれしくてうれしくて」

07-06
アメリカ時代の懐かしいエピソードを披露するふたり。表情から信頼の厚さが伺える。

 3か月後、桜井選手は帰国し、マレンコ道場での経験も踏まえ、プロレスよりも総合格闘技の世界を目指すことを決意。龍ケ崎市出身で後に修斗*1第4代世界ミドル級
チャンピオンになる桜井マッハ速人と練習を重ねながら、マッハに続いてアマチュア修斗の大会に出場して優勝し、プロ修斗デビューを果たしたのが1998年、26歳のときだった。2003年には戦いの舞台をDEEP*2へと移し、やがてミスターDEEPと呼ばれるほどの活躍を見せ、2004年、ついにDEEPミドル級王者の座にまで登りつめた。

(*1:修斗は、1984年に発足した日本の総合格闘技団体 *2:DEEPは、2001年に発足した日本の総合格闘技団体)

 一方、齋藤さんは、居住地をアラバマに移し、車いすバスケの社会人チームMOBILE PATRIOTSに加入。全米代表候補の選手が在籍する環境で、生来の負けず嫌いの本領を発揮し、過酷な練習を自らに課してチームと釣り合うレベルにまで鍛え上げ、10年の長きに渡りプレーを続けた。

07-02

ずっとこの姿を
見せたいと思っていた

 2007年、齋藤さんは内臓疾患を患い帰国することに。病状は重く、外出許可が出たのは1年後だった。
 「外に出られるようになって、そういえばどうしてるかなと思ってて」、桜井選手のジムを訪ねて再会を果たし、水戸で交流が復活した。
 以来、約12年の間、齋藤さんは、自身が率いる車いすバスケチーム「スピニング・フープス・レボリューション」のイベントで桜井選手とコラボレートしたり、知人の飲食店などに桜井選手が出場する大会のポスターを貼る依頼をしたりして支援を続けている。そして、もちろん試合がある日には必ず会場に駆けつけている。一試合も欠かさずに、だ。
 「齋藤さんは、とにかく行動力の人。すぐに動いちゃう」と桜井選手。
 「そこが2人の共通点」と齋藤さん。
 「僕、講演で子供たちにもよく言うんだけど、神様がみんなに公平にしていることがあって、それは、がんばったことは、必ず自分に返ってくるということ。桜井君はチャンピオンになると決めて、それに見合うことをやっている人間。そこがやっていないやつとの違いですよ」
 桜井選手も続ける。
 「世の中って、理屈をつけてやらない人の話に、耳を傾けるんですよね。そういってる間にまずやってみれば、と僕もいつも思いますね」
 アメリカから水戸に場所を移して続く、2人の不思議な深い縁。あらためて互いについて尋ねてみた。
 「桜井君は…僕にとってある意味ライバル。絶対に負けないと思って生活してる。まあ、心で一緒に闘う盟友という感じでもあるかな」
 桜井選手も応じる。
 「僕にとって齋藤さんは、自分の中で言い訳しないようにさせてくれる存在。少し調子が悪くても、齋藤さんを思うと、やれるって切り替えられる。お陰で48歳の今も現役でやれているのだと思います」

07-07

 DEEPのベルトを巻いたときは、齋藤さんがアメリカにいたため、その姿を直接は見せられなかった。
 「今回べルトを獲れて本当によかった。ずっとこの姿を見せたいと思っていたから」
 満面の笑みを見せる桜井選手。ベルトを獲ってひと息つくどころか、さらに目指すべき高みが見えてきたという。
 「もっと深く自分の爪痕を残したくなりました。このベルトを持っていろいろな闘いの場に出ていきたいという欲が出てきましたね。昨年水戸で自分が主催した格闘技大会『レジリエンス』も、さらにいい形で続けていきたいと思っています」
 アラフィフの男2人。互いに体は傷だらけだが、言い訳する姿を絶対に見せたくない相手の存在が、2人を闘いの舞台に留まらせる。
 負けず嫌い同士の勝負はまだつかない。

07-05
桜井選手、齋藤さんがよく通う「心まい」で開催された祝勝会の様子。ジム生の皆さんとともに。

R-BLOOD

子どもから大人まで楽しく汗を流す水戸で唯一の格闘技ジム
水戸市千波町2325
☎029-350-1192
http://www.r-blood.com/

SH REVOLUTION

「イスバスで水戸の街を動かす」をテーマに体験と普及を広める
練習場所:水戸サン・アビリティーズ (見川町2563-705)火・木
https://www.sh-revo.com/

(文…笠井峰子 │ 撮影…小泉慶嗣)

目次へ戻る

08-01

パラスポーツ
有限会社アイムス[義肢装具士]

風を感じて全力で走る喜びを多くの人に。

数多くのパラリンピアンから全幅の信頼を得る義肢装具士が、競技用義足体験会を続ける理由。

多くのパラリンピアンが足を運ぶ義足製作会社が、水戸にある。その背景と義足製作に込めるスタッフの熱き想いを聞いた。

 常磐自動車道の水戸インターチェンジからほど近い水戸市郊外の閑静な住宅街の中に、義肢装具製作会社の有限会社アイムスがある。義肢装具とは聞きなれない言葉だが、「義肢」は、手や足を失った人が装着する義手や義足を指し、「装具」は、体の各部位が痛んだり、損傷したりした際に、治療や症状の軽減を目的として装着する器具、たとえばコルセットや靴の中敷きなどのことをいう。製作に携わるには、国家資格である「義肢装具士」の資格が必要だ。
 アイムスでは義肢装具全般を製作しているが、とくに義足の製作技術の高さには定評があり、日常用の義足はもちろんのこと、競技に使うスポーツ義足の製作で全国トップレベルの技術をもっていることがいちばんの特徴だ。現在は、社長の筒井仁哉さんを含めて4人の義肢装具士が所属している。中でも競技用義足の製作と普及に力を入れる、齋藤拓さんに話を聞いた。

 「スタッフは全員、茨城県外の出身なんです。もともと社長の筒井と僕は、東京にある公益財団法人鉄道弘済会の中にある、義肢装具サポートセンターという義肢装具製作施設に勤務し、そこで多くの義足製作を手掛けてきました」
 アイムスはもともと水戸にあった会社だが、初代社長の時代は義肢製作は行わず、コルセットなどの装具を専門に製作する会社だった。
 「その方が高齢になり跡継ぎを探していることを知り、独立を視野に入れていた筒井が思い切って水戸に移住してアイムスを継ぐことを決断しました。僕にとって筒井は、義足製作のいろいろなことを相談してきたいちばんの先輩。2人でやろうという誘いを喜んで受けました」

08-02

 鉄道弘済会の時代から、日常用義足を製作する傍らで、日本のパラスポーツのトップアスリートたちのスポーツ義足を手掛けていた2人。水戸に拠点を移してからも、自転車競技の藤田征樹選手(パラリンピック北京大会、ロンドン大会、リオデジャネイロ大会で連続してメダルを獲得)や走幅跳びの中西麻耶選手(パラリンピックリオデジャネイロ大会4位)らが変わらぬ信頼を寄せ、義足の製作や調整のたびに水戸を訪れている。
 「僕は、もともとスポーツ好きだったんですが、高校3年生のとき、シドニーパラリンピックでスポーツ義足をつけて活躍する日本人選手の姿をテレビで初めて目にして、こういった道具を製作してスポーツをサポートする仕事があるのかと感動し、義肢装具士を目指す決意をしました。ただ、スポーツ義足の製作数は、義足全体の製作数の1%にも満たないほど少ないんです。僕はたまたま働き始めたときからずっとスポーツ義足に携わることができ、すごく幸運だったと思います」

仮合わせの前は、
重圧で気持ち悪くなる

 ここで義足の構造と製作法についてごく簡単にふれてみたい。義足のもっとも重要なパーツは、足の切断面を覆って支える「ソケット」で、日常用義足でもスポーツ義足でも製作方法は変わらない。最初に石膏をまぶしたギブス包帯を足の切断部位に巻き付け、型を取り(採型)、次に、型の内部を切断部位や周辺の骨の形状、肉質、本人の好みなどに合わせて細かく修正していく(モデル修正)。
 「骨や筋肉の筋がある部分は当たると痛いので、少し隙間をつくるようにします。ソケットの中でどういう動きが出るかを想像して、それに合わせて形状をつくっていくのですが、ゆるすぎてもだめ、きつすぎてもだめ。医学的な知識とものづくりの工学的な知識と技術を総動員して修正していきます」
 この採型とモデル修正の過程が、快適な義足を製作するうえで99%の重要度を占めるという。採型してからソケットの仮合わせを行うまでの期間は、約2週間。相手がアスリートであっても一般の人であっても、その間に強い重圧を感じることは昔も今も変わらないのだという。
 「ぴたっと合うソケットが作れないと、皮膚に傷ができたり血が流れたりという事態につながり、生活を支えるどころではなくなってしまう。使用者の期待に応えるいいものが自分に作れるか、そのプレッシャーで毎回気持ちが悪くなります」

08-03
義足の要となるソケット部分を製作中の齋藤さんとスタッフの夜部いくみさん。2人の真剣な表情からも、この工程に求められる繊細な感覚が見て取れる。

 不安を抱いたまま仮合わせに臨み、ソケットを装着した使用者の口から「うわっ、軽い!」という言葉が漏れたとき、心から安堵するという。
 「軽いと感じるのは、どこにも違和感、異物感がないということ。その言葉が聞けるとほっとしますね」
 ソケットが完成したら、日常用義足の場合は、「膝継手」(膝関節の役割をする部品)、「足部」(足首の関節の役割も果たす)をアルミのパイプでつなぎ、肌色のスポンジをかぶせて足の形に整える。

 一方、競技用の場合は、日常生活は度外視しているため、足の形状はしていない。まっすぐに速く走る、まっすぐ遠くに跳ぶ、自転車を速くこぐといった機能に最適な形状になっている。近ごろメディアなどで目にする機会が増えた、しなる板状の義足は「板バネ」と呼ばれ、走ったり跳んだりする競技に使用される。沈んだ反発力を利用して前へ進む力を得るツールだ。選手ごとに特注品を使うのかと思いきや、競技の公平性を保つため、誰でも購入できる既製品を使うことが規定されている。
 「オズール社(アイスランド)とオットーボック社(ドイツ)が世界の二大メーカーとして圧倒的シェアを誇っていますが、日本の今仙技術研究というところも健闘しています。価格は、20万円~60万円くらいとけっこう高価ですが、基本的に誰でも、どの国からでも購入できます」 
 ただ、同じ既製品でも、部品の微細な調整で記録は変わる。この調整という技術も、義肢装具士に求められる重要な要素だ。板バネではなく自転車用義足の話になるが、齋藤さんは、初めて自転車の藤田選手の強化合宿に参加したとき、コーチ陣に「こんな義足じゃダメだ!」と一喝されたそうだ。が、合宿中に微調整を繰り返すことで、なんと当時の世界記録を出すまでに調子を上げさせた。
 「初めて世界レベルの選手のスタッフとして合宿に参加したときのことです。プロフェッショナルな人たちが集まって記録に挑戦していることを思い知りました。チームの一員として自分の持ち場で全力を尽くすことを学んだ忘れられない経験です」

パラスポーツの
裾野を広げていきたい

 齋藤さんが、今、義足製作とともに力を注いでいるのが、2019年1月に結成した「リバファン」というチームの活動だ。

08-05
「板バネ」を気軽に試す機会を提供する齋藤さん主催の「リバファン」の練習風景。写真上の男性は、この日初めて板バネを体験した。

 「パラスポーツのピラミッドの頂点の部分ではずっとやり続けてこれましたが、もっと一般の人が楽しんでスポーツをする、その最初の一歩を踏み出すきっかけづくりをできたらという想いがずっとあって。中西選手が競技で使わない板バネをたくさん寄贈してくれて環境も整ったので、昨年から始めています」
 前述の通り価格が高く一般の人には縁遠い存在の板バネを、気軽に試せる機会を提供する場として、リバファンは、月に一度ケーズデンキスタジアム水戸などで開催されている。
 撮影を行った日も、常連の国体選手たちに交じり、初めて板バネを試すという男性が参加していた。アイムスのスタッフによる調整を受けながら試走を繰り返し、最後にはトラックを全力疾走するまでに自身の体と板バネを一体化させていく様を目にすることができた。
 「ひとりでも多くの人に、全力で風を切って走る喜びを感じてほしい」と想いを語る齋藤さん。
 「リバファン」とは、英語の自由(Liberty)と楽しさ(Fun)を組み合わせた造語。走ることは、自由で、楽しいこと。その喜びを知り、気持ちよさに胸を震わせる人が、これから齋藤さんの手によって、少しずつ、だが確実に増えていくのだ。

08-06
スタッフ全員で。左が代表取締役の筒井仁哉さん。

有限会社アイムス

水戸市大塚町1912-2
☎029-254-2140
http://www.aims.ne.jp/

(文…笠井峰子 │ 撮影…小泉慶嗣)

目次へ戻る

照準は、世界。水戸発未来のトップアスリート。

水戸を拠点にトレーニングを積みながら、世界の舞台に照準を合わせる、3組の若きアスリートをご紹介。

09-01

トレイルランナー
横内 佑太朗 さん
27歳

兵庫県出身。報徳学園高等学校の陸上部で長距離ランナーとして活躍し、上武大学へ進学。2年、4年時に自身の夢であった箱根駅伝に出場し6区の走者を務める。卒業後は競技から離れ、株式会社ノーリツへ営業職として就職。水戸営業所に勤務する傍ら競技を再開し、水戸黄門漫遊マラソンや勝田全国マラソンにも出場している。

箱根を2度走った男が、
心機一転して、山野に挑む。

 小学5年生のとき、テレビで観た箱根駅伝。「ここで走りたい」と抱いた思いを一心に追い、上武大学でその夢を実現させた横内さん。「沿道の応援がすごくて、左側だけ耳鳴りするほど。毎日の練習はハードでしたが、目標があったから辛いと思うことはなかったし、この舞台で走れることがただひたすら楽しかったですね」と目を細める。
 卒業後は、母の待つ地元へ戻ることを意識して、関西に本社を置く住宅設備メーカーへ就職。「大学が群馬だったせいか、期待に反して配属先は水戸。知り合いもいないし、やることもないし、ゴロゴロ過ごして半年で10キロくらい太りました」と、苦笑交じりに当時を振り返る。ある晴れた秋の日、ふと「千波湖を走ってみようかな」と思い立ち、久しぶりにシューズを履いた横内さん。
 「体が重いし走るのがキツくて、頭の中のイメージとのギャップにショックを受けましたが、それ以上に汗をかく気持ちよさが鮮烈でした」
 それを機にふたたび走り始め、千波湖ランナーたちとの交流も楽しみのひとつに。走る楽しさを思い出した横内さんの目に留まったのが、雑誌で見かけたトレイルランニングの記事だった。それは、整備されていない山道などを走る長距離競技。
 「マラソンでは無理でも、トレイルランなら世界を目指せるかもと思って。箱根でも山下りの区間だったし、自信はありました」と、トレーニングを開始。岩や木の根が張り出したけもの道を走る難しさは想像以上だったものの、練習を重ねるごとに手応えを感じ、世界選手権の選考を兼ねた奄美のレースで見事優勝。2019年、競技を始めて1年弱で世界大会への出場を果たした。
 「走っている姿を見て、母が『楽しそうにしててうれしいわ』と言ってくれるんです。水戸へ来たから、千波湖があったから今があると感じています」と爽やかに笑い、目線を次の世界選手権へと向ける。

(文…伊藤梢 │ 撮影…小泉慶嗣)

09-02

HELM MOTORSPORTS レーシングドライバー
平木 湧也 さん 27歳・玲次 さん 22歳

水戸市出身。兄の湧也さんは4歳、弟の玲次さんは3歳でレーシングカートを始め、ともにJAF全日本カート選手権で優秀な成績を収めるなどレーシングドライバーとして活躍を続ける。2020年2月、水戸市で地域密着型モータースポーツチーム「HELM MOTORSPORTS」を設立。スーパー耐久シリーズとFIA-F4選手権に挑む。

モータースポーツ文化を地域で身近に。
新たな道を切り拓く若きレーサー兄弟。

 兄の湧也さんは4歳、弟の玲次さんは3歳で、自転車に乗るよりも先にレーシングカートのハンドルを握っていたという平木兄弟。モータースポーツ好きの父親に連れられて土浦市のキッズ専用サーキットへ行ったのがカートを始めたきっかけだ。体感速度は300km/hといわれるスピード感が、幼い兄弟にとっての日常だったというから驚かされる。「ペダルを踏み込んで、自分でマシンを操作している感覚がおもしろかった」と当時を懐かしむ湧也さんに対し、ひとつ年下の玲次さんは「気づいたら乗っていた感じです」とさらりと語り、双子のような仲の良さの中にも、対照的な側面を覗かせる。
 4輪マシンのレースには、F1を頂点にして、さまざまなカテゴリがある。マシンの種類で大別すると、タイヤがむき出しになっているのがフォーミュラカー、市販車をベースにするツーリングカー、そしてカートの3種類。カートの世界でトップを極めた才気あふれる兄弟は、迷いなくフォーミュラレースとツーリングカーレースへの挑戦の道を選んだ。
 「同じレースに出場して、トップ争いの結果2人でつぶし合ってしまったことがあって。それ以降、意識的に出場レースを分けています」と湧也さん。近年ではおもに、弟の玲次さんがF3の下に位置するFIA-F4への挑戦を続け、湧也さんは、日本発のツーリングカー国際シリーズとして高い人気を誇るスーパーGTへの参戦を続けている。
 2020年には、活動の幅をさらに広げるために2人でチームを設立。交通安全啓発活動などを通じた地域貢献にも力を入れながら、水戸の地でモータースポーツの魅力を伝え、ファンを増やしたいと意欲を燃やす。夢に描くのは、「イタリアのように、まちのカフェで日常的にレース観戦を楽しむ光景」。兄弟であることのメリットをいかし、自分たちならではのやりかたで、地域のモータースポーツ文化の創造に情熱を注ぐ。

(文…伊藤梢 │ 撮影…小泉慶嗣)

09-03

BMXレーサー
長谷川 湧斗 さん
22歳

水戸市出身。7歳から国営ひたち海浜公園内のBMXレースコースで開催されるスクールに通い始め、BMXレーサー菊池雄の指導のもと頭角を現す。小学校5年生で出場したジャパンシリーズで優勝を果たし、以来、各年齢ごとのクラスで全国大会や国際大会に出場を続けて活躍中。2016年のひたちなかBMX国際大会day 2では、エリートクラスで見事優勝を果たしている。

日本における第一世代として、
競技の普及にも全力を傾ける。

 BMXは、Bicycle Motocross (バイシクルモトクロス)の略で、変速ギアのない、シンプルで頑丈な自転車を使った競技のことだ。競技は、速さを競う「レース」とさまざまな技を競う「フリースタイル」に分かれる。2008年の北京オリンピックから、「レース」が正式種目となっている。
 水戸市在住の長谷川湧斗さんは、日本で5本の指に入るBMXレーサーであり、日本におけるこの競技の「第一世代」のひとりだ。
 「7歳から始めたBMXが与えてくれたものはとても大きいです。厚い信頼で結ばれる仲間や海外遠征で知る異文化のこと。BMXがなければ得られなかったものです」と、自身にとっての競技の大きさを語る。だからこそ、国内で競技の知名度を高めることへの使命も感じている。
 BMXレースの競技としてのいちばんの魅力は、高さ8メートルから8人で一気に下り降りるスタートだ。「時速60キロ近い速度で駆け降り、勝敗の9割がスタートで決まる」のだという。そのスピードに乗ったまま相手と競り合いながら、ジャンプと呼ばれる起伏を越え、バームと呼ばれるすり鉢状のカーブを曲がり、リズムセクションという小さなコブの連続を越えてゴールする。この間わずか30秒あまり。激しい攻防から「自転車の格闘技」とも形容される。
 「ただ、日本には世界戦規格の常設コースがなく、なかなか海外勢と肩を並べられないのが現状です」
 自身のスキルアップに励みながら、競技環境を整え、競技をよりメジャーにしていくことにも心を砕く。世界の舞台を制する「第二世代」の育成も視野に、今後もBMXに身をささげる覚悟だ。

(文…笠井峰子)

目次へ戻る

10-01

ノーブルホーム代表取締役
福井英治さんに聞く

企業家が地域で貫く野球愛。

水戸市総合運動公園内にある水戸市民球場。1980年に完成した歴史ある球場が、2019年開催の茨城国体に合わせて大幅改修され、新たな名前を得てリニューアルオープンした。ネーミングライツを含め、地域企業のスポーツに対する理想の貢献の形を、ノーブルホームの福井社長に伺った。

 2017年から約1年をかけ、全面的な改修が行われた水戸市民球場。竣工から40年を迎える歴史ある球場が、グラウンドの拡張、スコアボードのフルカラーLED化、スタンドの改修により現代的な装いに生まれ変わった。リニューアルオープンに向けてネーミングライツも募集され、県内有数の着工数を誇る住宅メーカー、株式会社ノーブルホームが権利を取得。水戸市民球場は「ノーブルホームスタジアム水戸」として2018年6月、新たなスタートを切った。
 球場近くにノーブルホームの本社社屋があることから、ネーミングライツ獲得を、単なる宣伝戦略だと思っている地域住民も少なくないかもしれない。しかし、事実はそれとは少し異なる。創業社長である福井英治さんは、「野球は自分の人生そのものであり、人生の宝物」と語るほどの野球愛を貫く人物。多忙な本業の傍らで、26歳で始めた夏の高校野球茨城大会のラジオ中継の解説を、現在まで30年間務め続け、茨城県内の児童や生徒を対象にした野球大会「ノーブルホームカップ茨城県学童軟式野球大会」と「ノーブルホーム旗杯リトルシニア野球大会(中学硬式野球)」を10年以上にわたり開催し続けている。県内の野球文化の発展に寄与し続けている存在なのだ。

10-02
右:鉾田一高時代では4番・ショートを務めた。
左上:初代監督を務め県大会上位までチームを率いた波崎柳川高校監督時代。円陣中央が福井さん。
左下:水戸市民球場(現ノーブルホームスタジアム水戸)で高校野球大会の解説を30年近く務める。

創立2年の高校を
県大会準決勝まで導く

 高校時代は、茨城県立鉾田第一高等学校で4番・ショートを務め、卒業後は、野球推薦で日本体育大学へ進んだ福井さん。しかし、怪我に泣き、社会人野球への道を断念。茨城に戻って体育の教師となり、新設1年目の茨城県立波崎柳川高等学校に赴任。野球部監督としてゼロからチームづくりを手掛け、なんと創部2年目にして県大会の準決勝進出を果たすという輝かしい結果を残した。そのまま指導者を続けるつもりだったが、約2年後、父親の病気により退職。数年の準備期間の後、野球で身に着けた知見をいかして、株式会社ノーブルホームを創業し、現在は社員400人を擁する会社の経営者として大きな成功を収めている。

10-05

背中を追い続けた
名将・木内監督

 その福井さんが、高校時代から背中を追い続ける存在がいる。「木内マジック」と呼ばれる采配で茨城県立取手第二高等学校や常総学院高等学校を甲子園優勝に導いた、木内幸男さんだ。
 「鉾田一高時代に、木内さんが監督を務める取手二高と2回対戦し、2戦とも惜敗しました。その度に木内マジックの〝巧みさ〟〝威圧感〟〝執念〟を強く感じたものです。以降、私は、大学時代もずっと、木内さんの指導法や戦略を研究し続けました。教師になり、新設高校の野球部監督として短期間で成果を出せたのも、その研究成果をいろいろな形で実践できたからだと思います」
 過去のデータから選手の心情・性格・能力を鋭く見抜いて分析し、事前に何度もシミュレーションを繰り返して、試合直前まで戦術を組み立てるのが、木内マジックの真骨頂。
 「木内さんは、実際のゲームの流れを読み解き、自チーム、相手チーム双方の選手の心、強み、弱みを見極めて、場面場面で指示を出し、最適なタイミングで適材適所に選手を配置することに長けていました。まさしく選手の心を動かす〝伝え方の魔術師〟だったと思います」
 福井さんが、木内さんの采配を分析して身に着けた思考法は、そのまま現在の会社の経営マネジメントに役立っているという。

10-03
改修され、スタンド席も美しくリニューアルされたスタジアムで施設長の小林哲也さん(左)と。

 「野球はチームスポーツで、守りに各ポジションがあり、攻めの打順も決まっている──会社とよく似ています。私は、今でも野球の試合を見ている最中に新しい組織運営や事業のアイデアを得ることがよくあるんです」

野球を通じて人間力と
地域愛を育みたい

 会社が10周年を迎え完全に軌道に乗ったころ、福井さんが社内プロジェクトとして始めたのが、前述した少年野球大会「ノーブルホームカップ」だ。自身が野球からさまざまな学びを得たように、地域の子供たちが、野球を通じて人間力と地域愛を育むことを目指している。
 「野球というチームスポーツをすることで人間力を高め、野球で楽しい体験を重ねることで、地域への愛着を培う。高い能力を持った子どもが、高校に進む際、他県ではなく県内の学校を選ぶようになる、そんな環境づくりに貢献できたらうれしいですね。そこからプロになる人が増えればもっとうれしいし、そういう人材は、野球をやめた後も地域に戻って活躍してくれると思うんです」
 企業の経営者となった今だからこそ野球を通じて地域に貢献できることがある。これが、福井さんならではの野球愛の体現だ。自身の会社の名を冠した球場を舞台に、企業家福井英治としての野球人生は続いていく。

10-04
近年では130近いチームが参加するノーブルホームカップ。大会の企画・運営はすべてノーブルホームの社員が行っている。

(文…笠井峰子 │ 撮影…小泉慶嗣)

県内アマチュア野球のメイン会場として歴史を刻む。

40年の歴史を持つ水戸市民球場が、全面リニューアル。

[ノーブルホームスタジアム水戸]

10-06

 水戸市総合運動公園内にある野球場。水戸市民球場として1980年3月に竣工して以来、主に茨城県内のアマチュア野球の開催球場として、広く市民に親しまれてきた。2017年から大掛かりな改修工事が実施され、メインスタンド・外野スタンドが刷新されたほか、スコアボードのLED化、グラウンド拡張(両翼100m、中堅122m)などが行われた。2018年6月のリニューアルオープンに合わせてネーミングライツが募集され、水戸市に本社を置く住宅メーカーのノーブルホームが獲得(2029年3月31日まで)。以降は、「ノーブルホームスタジアム水戸」の名称に。2019年の「いきいき茨城ゆめ国体」の会場となったほか、プロ野球公式戦も開催されている。

ノーブルホームスタジアム水戸
(水戸市民球場)

水戸市見川町2256
☎029-243-0111

目次へ戻る

水戸市には、スポーツ好きが集まる魅力ある店がたくさんあります!!

アスリートやスポーツ好きが集まる水戸のいいお店。

プロサッカー、プロバスケットボールを筆頭に、さまざまなスポーツチームが在籍する水戸市には、アスリートや彼らを情熱的に応援するスポーツ好きの市民たちが集う飲食店がたくさんあります。スポーツ観戦後に足を運べば気の合う仲間がふえそうな、味よし雰囲気よしの11軒をご紹介。

11-01


M-SPO TERRACE
BLUE×BLUE ブルー×ブルー

11-0607

ブルーといえば、水戸プロチームの色!

M-SPO内にあるカフェ&バル。開放的なテラス席で産地直送野菜を使用したパスタやサラダ、常陸牛のハンバーグなどが味わえる。夜は、ビールを中心に月替わりのお酒も登場。屋外のスペースを利用したBBQやパーティー、パブリックビューイングのスポーツ・音楽イベントも評判。「BLUE×BLUE」は、茨城ロボッツと水戸ホーリーホックのチームカラーから。


HALFTIME Cafe
ハーフタイムカフェ

11-0405

アリーナ内で楽しむこだわりパン

「アダストリア みと アリーナ」内にオープンしたカフェ。「子供たちも安心して食べられるものを」と、吟味した食材を使うフードやドリンクを提供。人気の手作りパンは、店名のロゴを焼き印したキューブ型パンがおすすめ。そのほか、サンドイッチや総菜パンも。ランチタイムはサラダやドリンクのセットメニュー、カフェタイム(14:00~)はビールなどのお酒が楽しめる。


レストラン
MAROON マロン

11-0809

本格料理とサッカーでまちを応援し続ける

創業50年。水戸ホーリーホックの選手やサポーターが訪れることでも知られるレストラン。県産銘柄豚肉のリブロースグリルは、溶岩石の遠赤外線効果で上質肉のうま味が堪能できる人気メニュー。野菜は市近郊で採れた鮮度のいいものを取り入れる。店主は「まちとサッカーを繋げ、地元を元気にしたい」と、FMぱるるんでフットボールカルチャーを伝える番組のMCも務める。


彩食亭 ( しん ) まい

11-0203

風情ある空間で味わう炭火焼きに舌鼓

古民家をリノベーションした居酒屋。小さな入り口から狭い通路を進んた奥に店舗がある、町家造りをいかした佇まいが人気だ。洋食から転じて和食の料理人になった店主が、備長炭で丁寧に焼き上げる炭火焼きを中心に、その日に入る食材を使い腕を振るう和洋折衷の「本日のおすすめ一品料理」など、料理の品数は充実。幅広い客層に合わせてお酒の種類も豊富に揃う。


炭火焼鶏 とり( ぞう )

11-1415

アメフトチームの発信拠点としても人気

「厚い人情と歴史のある水戸で」と6年前にオープン。ここはp23で紹介しているセイバーズの近藤さんが営む居酒屋。国産鶏肉を中心に、希少な部位なども取り揃えた各種串焼きを提供。塩・タレは素材の持ち味をいかして使い分け、備長炭で丁寧に焼き上げる。合わせる日本酒の品揃えも充実。県内20か所ほどの蔵元や店主の出身地・福島から取り寄せたお酒が楽しめる。


DAYSMART
デイズマート

11-1213

こだわり素材のオリジナルヘルシーサンド

水戸京成百貨店裏通りにあるサンドイッチとコーヒーの店。店内はモノトーンを基調にしたスタイリッシュな雰囲気。食文化の提案によるまちづくりを目指す店主が、試作を重ねて提供する豊富なオリジナルメニューが魅力だ。こだわりのパンと、生ハムから自家製ベーコン、各種チーズ、野菜などの具材の絶妙な組み合わせが、幅広い世代の支持を得る。コーヒーはイタリアのilly社のものを使用。


Irish Pub
Kells ケルズ

11-1011

アイルランドのビールと料理と音楽を堪能

アイルランドの文化や人柄に魅せられた店主が、「誰でも気軽に立ち寄れる本場のパブの雰囲気を」とオープン。徹底した温度管理で提供するアイルランドの地ビール「ギネス」をはじめ、香ばしく焼いたシェパーズパイ、ギネスビールで煮込むビーフシチューなどのアイルランドの郷土料理は本格派。日本の地ビールも揃う。定期的に開くケルト音楽のライブが陽気な雰囲気を盛り上げる。


Frizza フリッツァ

11-2223

陽気に楽しむボリュームたっぷりのイタリアン

太陽の大きな看板が目印のイタリア料理レストラン。季節の素材を盛り込む多彩なパスタやモチモチとした食感のピッツァをはじめ、夜は、肉料理などのアラカルトも充実。手作りデザートも人気が高い。ケーズデンキスタジアム水戸が近いこともあり、水戸ホーリーホックの選手たちが練習や試合の後によく訪れるという。店内には歴代選手たちのサインやユニフォームが飾られている。


Taverna Hamburg
タヴェルナ ハンバーグ

11-2021

常陸牛のうま味を最大限に引き出す焼き加減

アンティーク雑貨や観葉植物で演出した店内は、吹き抜けのある開放感が印象的。常陸牛100%のハンバーグやステーキはレアに焼き上げ、上質肉のうま味を引き出している。切りたてのパルマ産生ハム、削り立てのイタリア産グラナパダーノチーズ、甘味を抑えた自家製ジェラート、自家焙煎コーヒーなど、ここでしか味わえないメニュー構成でファンを増やしている。


リストランテ 勘十郎

11-1819

吹き抜け空間で味わう大人のイタリアン

「気軽に行ける大人のイタリアン」をテーマに、茨城の食材を中心に旬の素材を自在にアレンジしたイタリア料理を提供。吹き抜けのある広々とした店内は、テーブル席、カウンター、座敷を備え、いずれもゆっくりと寛げる雰囲気。メニューは、手ごろなランチセットから、立食なら120人まで可能なパーティープランまで、幅広いシチュエーションに対応。


四川厨房メイ

11-1617

独自のアレンジを加えた自慢の四川料理

ホテルの四川料理店で経験を積んだ店主。本格的な四川料理から、地元の素材をいかしたオリジナルの中華料理まで、手ごろな値段で提供する。食材は、県産銘柄豚肉、契約農家の野菜、新鮮な魚介など、納得のいくものだけを使っている。「陳麻婆豆腐」や「塩麻婆豆腐」は、香り、辛味、うま味が格別な自信作。病みつきになる人も多い人気メニューだ。


■水戸市内の主なスポーツ競技施設

ケーズデンキスタジアム水戸

ノーブルホームスタジアム水戸

アダストリア みと アリーナ

リリーアリーナMITO 青柳公園市民体育館

ツインフィールド
水戸市立サッカー・ラグビー場
水戸市立河和田市民運動場

茨城県武道館 堀原運動公園内

M-SPO・ユードムアリーナ


※新型コロナウイルス感染拡大防止のため、営業時間や休業日などが変更になる場合がございます。

(文・写真…海藤 和恵)

目次へ戻る

水戸市関連サイト・SNS

水戸市は日々さまざまなかたちで水戸の魅力を発信しています!

水戸の街を案内するスマートフォンアプリ「水戸のこと」

BT_appBT_google

水戸の街のガイド役スマートフォンアプリ「水戸のこと」
AppStore、Google playで無料配信中

水戸市はココにあります。

水戸市は、南北に長い茨城県のほぼ中央に位置しています。東京から北東の方角に約100キロ行ったところにあります。

mito

目次へ戻る

編集後記

今号の取材でお話を伺ったアスリートやスポーツ関係者の方々の、鍛え上げた肉体美、強い精神、徹底したサポートを降り注ぐ姿を目の前にし、心震え感動しました。私自身、学生時代の部活動に始まり、社会人になってのフルマラソン、スキー指導員の経験などそれなりにスポーツを楽しんできました。それが今では、球場でプロ野球の試合をビール片手に楽しむなどもっぱらの観戦者。今号の制作を通じて、改めて素晴らしい環境にいることを実感し、これからは応援者になろうと心に決めました。ぜひ皆さんもご一緒に!!(水戸市ミトノート担当)

ミトノート 第7号

発行日:令和2年3月

発行:水戸市

企画:みとの魅力発信課

編集・デザイン:有限会社時の広告社

目次へ戻る